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鶴見曹達 本社:横浜市鶴見区末広町一丁目7番地 【商号履歴】 鶴見曹達株式会社(1945年12月~2013年1月1日東亞合成株式会社に合併) 日本航空化学工業株式会社(1943年7月~1945年12月) 【株式上場履歴】 <東証2部>1984年9月18日~2002年6月25日(東亞合成株式会社と株式交換) 【沿革】 昭和9年5月 鶴見曹達株式会社として創立。電解ソーダ事業を開始(資本金150万円)取締役社長・福澤駒吉。 昭和10年5月 工場の建築完了、操業開始。(敷地66千m2、建坪10.4千m2) 昭和17年7月 昭和曹達株式会社と合併し同社鶴見工場となる 昭和18年7月 昭和曹達株式会社と保土谷化学工業株式会社との共同出資により日本航空化学工業株式会社を創立(資本金1,000万円)この日を持って当社の創立とする 昭和20年12月 社名を再度鶴見曹達株式会社とする 昭和24年11月 保土谷化学工業株式会社の出資全株式を東亞合成化学工業株式会社(現、東亞合成株式会社)に譲渡。企業再建整備法により資本金1,500万円に増資 昭和26年9月 高純度の合成純塩酸の製造販売を開始 昭和27年5月 東京営業所(現営業本部)を開設 昭和27年10月 塩化第二鉄液の製造販売を開始 昭和28年4月 フレーク状苛性ソーダの製造販売を開始 昭和29年11月 液化塩素の製造を高圧法に転換 昭和35年10月 ツルクロン(R)(次亜塩素酸ナトリウム)の製造販売を開始 昭和36年8月 隣接の鶴見川を埋立て、土地33千m2を取得。 昭和38年6月 我国最初の液化塩化水素(無水塩酸)の製造販売を開始 昭和39年7月 化学機械器具及びその装置の設計、製作、販売ならびに設置工事業務を開始 昭和40年10月 ツルクロン(R)スーパー(次亜塩素酸ナトリウム)の製造販売を開始。 昭和43年12月 販売代理店三省商事株式会社の経営を譲り受け全株式を取得 昭和44年9月 圧縮水素の製造販売を開始 昭和47年4月 堆肥腐熟促進剤ウロンCの製造販売を開始 昭和48年10月 電解用金属電極を開発し、従来の黒鉛電極から転換 昭和48年12月 産業廃棄物処理業の認可 昭和50年5月 ツルクロン(R)N-40(次亜塩素酸ナトリウム)の製造販売を開始。 昭和50年9月 苛性ソーダ濃縮用三重効用蒸発缶を建設 昭和52年9月 籾殻膨軟化装置(プレスパンダー)の製造販売を開始 昭和52年12月 全電解槽、金属電極方式に転換 昭和54年1月 本社新事務棟完成。 昭和57年12月 イオン交換膜法電解槽を技術導入により完成 昭和58年6月 高純度液化塩化水素の製造販売を開始 昭和59年9月 株式を東京証券取引所市場第二部に上場 昭和59年9月 資本金8億3,000万円に増資 昭和62年1月 イオン交換膜法電解槽第二期工事完成 平成2年1月 資本金20億8,000万円に増資 平成2年12月 高純度塩酸の製造販売開始 平成3年9月 イオン交換膜法電解槽第三期工事完成 平成5年2月 フレーク状苛性ソーダの連続式製造設備完成 平成8年3月 イオン交換膜法電解槽第四期工事完成 平成9年7月 三原テクノ株式会社を設立 平成9年9月 イオン交換膜法電解槽第五期工事完成 平成10年6月 イオン交換膜法電解槽第六期工事完成 平成10年11月 三原テクノ株式会社操業開始 平成11年7月 ISO9001登録 平成12年12月 易溶性酸化銅(ES酸化銅)の製造販売開始 平成13年1月 三原テクノ株式会社吸収合併し三原テクノ工場とする 平成13年7月 高純度か性ソーダ(CLEARCUT(R)-S)の製造販売開始 平成14年7月1日 株式交換により東亞合成(株)の完全子会社となり上場廃止 平成15年3月 ISO14001登録 平成15年4月 子会社三省商事株式会社と共栄商事株式会社が合併し、社名を(株)TGコーポレーションとする 平成16年10月 韓国現地法人「鶴見曹達KOREA株式会社」を設立 平成18年11月 鶴見曹達株式会社徳島工場操業開始 平成19年10月 三原テクノ工場を閉鎖 平成20年5月 韓国現地法人「鶴見曹達KOREA株式会社」の社名を「東亞合成KOREA株式会社」へ変更
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オリンパス 本店:東京都渋谷区幡ヶ谷二丁目43番2号 【商号履歴】 オリンパス株式会社(2003年10月~) オリンパス光学工業株式会社(1949年1月~2003年10月) 高千穂光学工業株式会社(1942年6月~1949年1月) 株式会社高千穂製作所(1919年10月12日~1942年6月) 【株式上場履歴】 <東証1部>1949年5月16日~ <大証1部>1954年5月11日~2009年5月8日(上場廃止申請) 【沿革】 大正8年10月 現本店所在地において顕微鏡の国産化とその他光学機械の製作を目的として株式会社高千穂製作所を設立 昭和11年4月 写真機の製造を開始 昭和17年6月 高千穂光学工業株式会社に商号変更 昭和18年12月 長野県岡谷市に諏訪工場を新設(現 岡谷事業所) 昭和19年2月 長野県伊那市に伊那工場(現 伊那事業場)を新設 昭和24年1月 オリンパス光学工業株式会社に商号変更 昭和24年5月 東京証券取引所に株式を上場 昭和27年5月 医療機器の製造を開始 昭和29年5月 大阪証券取引所に株式を上場 昭和30年5月 株式会社高千穂商会の経営に参加、写真機の国内販売を強化 昭和35年10月 測定機の製造を開始 昭和38年8月 東京都八王子市に八王子事業場(現 技術開発センター石川)を新設 昭和39年5月 Olympus Optical Co.(Europa) GmbH(現 連結子会社Olympus Europa GmbH)を設立、欧州における当社製品の販売を強化(以後、欧州各地に製造・販売拠点を設ける) 昭和43年1月 Olympus Corporation of America(現 連結子会社Olympus America Inc.)を設立、米国における顕微鏡・医療機器の販売を強化 昭和44年5月 オリンパス精機株式会社(現 連結子会社会津オリンパス株式会社)を設立(以後、国内各地に製造関係会社を設ける) 昭和44年9月 BDR(無記名預託証券)600万株を発行(以後、海外においても資金調達を行う) 昭和47年12月 オリンパス販売株式会社を設立、顕微鏡・測定機・医療機器の国内販売部門を当社から分離 昭和52年3月 Olympus Camera Corporation(現 連結子会社Olympus America Inc.)を設立、米国における写真機の販売を強化 昭和55年2月 東京都新宿区西新宿に本社事務所を移転 昭和56年11月 長野県上伊那郡辰野町に辰野事業場を新設 昭和63年2月 東京都八王子市に技術開発センター宇津木を新設 昭和63年10月 Olympus Hong Kong Limited(現 連結子会社Olympus Hong Kong and China Limited)を設立、アジアにおける製品・部品の調達業務を強化(以後、アジア各地に製造・販売・調達拠点を設ける) 平成2年6月 Olympus USA Incorporated(現 連結子会社)を設立、米国における事業基盤を強化 平成3年12月 Olympus(Shenzhen)Industrial Ltd.(現 連結子会社)を設立、アジアにおける製造機能を強化 平成5年4月 東京都西多摩郡日の出町に日の出工場を新設(八王子工場を移転) 平成13年3月 株式会社ノバスジーン(現 連結子会社)を設立、ゲノム医療事業に参入 平成14年4月 坂城オリンパス株式会社と大町オリンパス株式会社が合併してオリンパスオプトテクノロジー株式会社(現 連結子会社)を発足、映像事業の製造機能を統合 平成15年1月 アイ・ティー・エックス株式会社(現 連結子会社)に資本参加して筆頭株主となり、新規事業開拓で業務提携を行う 平成15年4月 オリンパスプロマーケティング株式会社およびオリンパステクニカルサービス株式会社を吸収合併し、販売および保守部門を統合 平成15年9月 オルテック株式会社(現 持分法適用関連会社)を設立し、プリンタ事業を強化 平成15年10月 オリンパス株式会社に商号変更 平成16年9月 アイ・ティー・エックス株式会社の持株比率を引き上げ、連結子会社化 平成16年10月 映像事業および医療事業をオリンパスイメージング株式会社(現 連結子会社)およびオリンパスメディカルシステムズ株式会社(現 連結子会社)に会社分割 平成17年6月 Olympus NDT Corporation(現 連結子会社)を設立、非破壊検査事業を強化
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ナブコドア 本店:大阪市西区西本町一丁目12番22号 【商号履歴】 ナブコドア株式会社(1995年12月~) ナブコドアーエンジン株式会社(1964年11月~1995年12月) 神戸ドアーエンジン株式会社(1962年4月28日~1964年11月) 【株式上場履歴】 <大証2部>1996年11月27日~2012年7月27日(ナブテスコ株式会社と株式交換) 【合併履歴】 1964年11月 日 大阪ドアーエンジン株式会社 【沿革】 昭和37年4月 日本エヤーブレーキ㈱が全額出資し、神戸ドアーエンジン㈱(現当社)を神戸市生田区(現中央区)に設立 昭和39年11月 神戸ドアーエンジン㈱が大阪ドアーエンジン㈱を吸収合併し、ナブコドアーエンジン㈱(現当社)に社名変更し、本社を大阪市東区(現中央区)に移転。名古屋市中区に名古屋営業所(現名古屋支店)・広島市(現広島市中区)に広島営業所(現中国支店)・香川県高松市に高松出張所(現四国支店)・富山県富山市に富山連絡所(現富山営業所)開設 昭和42年5月 大阪市西区に本社社屋新築移転 昭和42年6月 京都市下京区に京都出張所(現京都支店)・三重県津市に三重連絡所(現津営業所)・岐阜県岐阜市に岐阜連絡所(現岐阜営業所)開設 昭和42年8月 石川県金沢市に北陸出張所(現北陸支店)開設 昭和42年10月 名古屋ドアーエンジン工事㈱より営業(保守サービス部門)の譲受け 昭和43年4月 神戸市葺合区(現中央区)に神戸出張所(現神戸支店)開設 昭和45年4月 和歌山県和歌山市に和歌山出張所(現和歌山営業所)開設 昭和47年1月 機械式駐車装置部門へ進出 昭和47年4月 防災システム部門へ進出 昭和49年7月 建設大臣許可取得 昭和53年2月 高知県高知市に高知連絡所(現高知営業所)開設 昭和55年10月 島根県松江市に山陰営業所(現松江営業所)開設 昭和56年3月 奈良県奈良市に奈良営業所開設 昭和57年3月 愛媛県松山市に松山営業所開設 昭和57年11月 兵庫県尼崎市に尼崎営業所開設 昭和59年9月 堺市(現堺市堺区)に堺営業所開設 昭和62年4月 滋賀県栗太郡栗東町(現栗東市)に滋賀営業所・愛知県安城市に西三河営業所(現岡崎営業所)開設 昭和63年6月 大阪府東大阪市に東大阪営業所開設 昭和63年10月 神戸市兵庫区に神戸支店新築移転 平成2年4月 島根県松江市に山陰営業所(現松江営業所)新築移転・大阪府茨木市に北大阪営業所を開設 平成4年4月 鳥取県鳥取市に鳥取出張所(現鳥取営業所)開設 平成4年12月 大阪府貝塚市に関西新空港作業所開設 平成6年12月 関西新空港作業所を閉鎖し、大阪府貝塚市に関空サービスセンター(南大阪営業所)を開設 平成7年10月 広島県福山市に福山営業所開設 平成7年10月 ㈱クラタクリエイトより営業(保守契約商権)の譲受け 平成7年12月 ナブコドア㈱に社名変更 平成8年11月 大阪証券取引所市場第二部に株式を上場 平成10年4月 三重県四日市市に四日市営業所開設 平成10年5月 名古屋市千種区に名古屋支店新築移転 平成11年9月 南大阪営業所を閉鎖し、堺営業所に統合 平成11年10月 大阪市西区に本社移転 平成12年3月 本社社屋購入 平成14年1月 兵庫県三田市に三田営業所開設 平成14年4月 愛知県岡崎市に岡崎営業所(旧西三河営業所)新築移転
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セントラル硝子 本店:山口県宇部市大字沖宇部5253番地 【商号履歴】 セントラル硝子株式会社(1963年1月4日~) 宇部曹達工業株式会社(1936年10月10日~1963年1月4日) 【株式上場履歴】 <東証1部>1949年5月16日~ <大証1部>1949年5月16日~ <名証1部>1951年12月17日~ 年 月 日(廃止) 【合併履歴】 2003年4月 日 セントラル化学株式会社 1963年1月 日 セントラル硝子株式会社 【沿革】 昭和11年10月 アンモニア法によるソーダ灰と苛性ソーダを製造することを第1次目的として、資本金750万円をもって、宇部曹達工業株式会社を山口県宇部市に創立し、宇部工場を建設 昭和13年1月 苛性ソーダの生産を開始 昭和15年12月 ソーダ灰の生産を開始 昭和24年5月 株式を東京、大阪両証券取引所に上場 昭和28年10月 ソーダ灰製造設備の一部を塩安ソーダ法に切り替え、ソーダと同時に肥料用塩安の生産を開始 昭和33年5月 旧セントラル硝子株式会社を設立、板ガラス事業へ進出 昭和34年6月 旧セントラル硝子株式会社は大阪府堺市に堺工場を建設し、普通板ガラスの生産を開始 昭和35年1月 塩安をベースとする高度化成肥料を開発、宇部工場に湿式燐酸製造設備を建設し、塩加燐安の生産を開始 昭和38年1月 旧セントラル硝子株式会社を吸収合併し、社名をセントラル硝子株式会社に変更 昭和38年4月 東亜燃料工業株式会社と提携して子会社セントラル化学株式会社を設立 昭和38年12月 三重県松阪市に松阪工場を建設し、安全ガラスの生産を開始 昭和39年5月 松阪工場において、デュープレックス法による磨板ガラスの生産を開始 昭和44年6月 松阪工場において、フロート法によるフロート板ガラスの生産を開始 昭和46年3月 子会社セントラルグラスファイバー株式会社を設立 昭和48年3月 タイ国に肥料製造会社タイセントラルケミカルカンパニーリミテッドを合弁設立 昭和49年4月 宇部工場において、弗化水素酸プラント完成 昭和51年2月 宇部工場において、燐安の生産を開始 昭和54年1月 米国ワシントン州の安全ガラス製造会社ノースウェスタンインダストリーズインコーポレィテッドに資本参加(同年10月子会社となる) 昭和57年12月 堺工場において、フロート法によるフロート板ガラスの生産を開始 昭和59年5月 宇部工場において、有機弗化物の多目的プラント完成 昭和61年7月 三重県松阪市にセントラル硝子テクニカルセンター完成(現:硝子研究所) 昭和62年3月 宇部工場において、弗素樹脂プラント完成 昭和62年10月 台湾の自動車用加工ガラス製造会社裕盛工業股份有限公司に資本参加 昭和63年4月 宇部工場において、高純度弗素系ガスの多目的プラント完成 昭和63年5月 肥料生産部門を分離し、その継承会社として子会社セントラル化成株式会社を設立 平成元年12月 子会社セントラルガラスアメリカインコーポレィテッドを当事者として、米国フォードモーター社グループと米国において自動車用加工ガラスの合弁会社(カーレックスガラスカンパニー)を設立 (7年12月にフォードモーター社グループとの提携を解消、当社グループの単独事業化) 平成4年12月 宇部工場において、フロート法によるフロート板ガラスの生産を開始 平成6年5月 宇部工場において、医療品原薬プラント完成 平成7年9月 台湾に薄板切断加工会社台湾信徳玻璃股份有限公司を設立 平成8年4月 ベトナム国に肥料製造会社ジャパンベトナムファーティライザーカンパニーを合弁設立 平成10年4月 中国北京に鏡製造・販売会社北京三重鏡業有限公司を合弁設立 平成10年6月 タイ国に自動車用加工硝子、建築用加工硝子製造・販売会社PMK-セントラルガラスCo.,Ltd.を合弁設立 平成14年1月 子会社セントラルガラスインターナショナルインコーポレィテッドを通じ、米国フロリダ州のフッ素化合物のコントラクト・ラボベンチャー企業であるシンクェストラボラトリーズインコーポレィテッドを買収 平成14年10月 PDP(プラズマディスプレイパネル)用高歪点ガラス事業へ進出 平成14年12月 仏国サンゴバングループと自動車用ガラス共同販売会社セントラル・サンゴバン株式会社を設立 平成15年4月 子会社セントラル化学株式会社を吸収合併 平成15年7月 ファインケミカル事業の国際展開を進めるため英国にセントラルガラスヨーロッパリミテッドを設立 平成15年8月 中国上海に上海駐在員事務所を開設 平成15年8月 子会社セントラルガラスヨーロッパリミテッドを通じ、フッ素化合物を取り扱う英国のファインケミカル企業であるアポロサイエンティフィックリミテッドに資本参加 平成16年4月 日本合同肥料株式会社と肥料共同販売会社セントラル合同肥料株式会社を設立 平成17年6月 韓国にサンゴバン グラス フランス社及びハンクック グラス インダストリーズ社(韓国)とPDP用ガラス基板の生産販売会社ディスプレイ グラス アライアンス インコーポレィテッドを設立 平成18年6月 ソーダ電解事業から撤退
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オリエンタルコンサルタンツ 本店:東京都渋谷区南平台町16番28号 【商号履歴】 株式会社オリエンタルコンサルタンツ(1957年12月24日~) 【株式上場履歴】 <ジャスダック>2004年12月13日~2006年8月23日(株式会社ACKグループに株式移転) <店頭>2000年9月1日~2004年12月12日(店頭登録制度廃止) 【合併履歴】 2006年12月 日 株式会社水建設コンサルタント 【沿革】 昭和32年12月 プレストレスト・コンクリート構造物の設計を主業務としたコンサルタントとして東京都千代田区丸の内二丁目2番地に株式会社オリエンタルコンサルタンツを設立 昭和34年7月 大阪市南区に大阪事務所(現関西支社)を開設 昭和37年4月 本社を東京都渋谷区美竹町41番地に移転 昭和37年10月 測量業者登録(建設大臣登録 第(11)-135号) 昭和39年12月 建設コンサルタント登録(建設大臣登録 建11 第71号) 昭和41年11月 名古屋市千種区に名古屋出張所(現中部支社)を開設 昭和42年2月 福岡県福岡市に福岡出張所(現九州支社)を開設 昭和50年11月 宮城県仙台市に仙台出張所(現東北支社)を開設 昭和58年7月 東京都において一級建築士事務所登録(東京都知事登録 第23343号) 昭和59年7月 本社を東京都渋谷区渋谷一丁目16番14号に移転 昭和60年2月 計量証明事業者登録(東京都知事登録 第829号) 昭和61年12月 広島市中区に広島支所(現中国支社)を開設 昭和63年12月 建築に関する設計・施工管理を事業目的に株式会社オリエスセンター(現連結子会社)を設立(資本金5百万円) 平成元年7月 補償コンサルタント登録(建設大臣登録 補9 第1710号) 平成元年10月 川崎市高津区に東京事業部(現東京事業本部)を開設 平成元年12月 電算のシステム開発及び技術開発を事業目的に株式会社オリエス総合研究所(現連結子会社)を設立(資本金10百万円)、建設に関する設計・施工管理を事業目的に株式会社オリエス西日本(現連結子会社)を設立(資本金5百万円) 平成3年4月 静岡県静岡市に静岡事務所(現静岡支所)、香川県高松市に高松事務所(現四国支所)を開設 平成5年1月 地質調査業者登録(建設大臣登録 質10 第1420号) 平成6年4月 東北支社社屋竣工 平成6年10月 新潟県新潟市に北陸事務所(現北陸支所)を開設 平成8年3月 大阪府において一級建築士事務所登録(大阪府知事登録 (イ)第16351号) 平成9年7月 東京事業本部ISO9001認証取得 平成9年8月 関西支社ISO9001認証取得 平成9年11月 中部支社ISO9001認証取得 平成9年12月 東北支社、九州支社、中国支社ISO9001認証取得 平成10年5月 国際事業部ISO9001認証取得 平成10年12月 本社・東京事業本部・国際事業部ISO14001認証取得 平成11年3月 東北支社・中部支社・関西支社・中国支社・九州支社ISO14001認証取得 平成11年7月 株式会社中央設計技術研究所(現連結子会社)を買収 平成11年11月 ISO9001全事業所統合認証(MSA-QS-2) 平成11年12月 ISO14001全事業所統合認証(MSA-ES-4)。執行役員制度を導入 平成12年2月 地球観測データの解析処理及びシステム開発を事業目的に株式会社国土情報技術研究所(現連結子会社)を設立(資本金30百万円) 平成12年9月 日本証券業協会に株式を店頭登録 平成13年6月 株式会社ワールド(現連結子会社)を買収 平成15年7月 OC-iシステム(可搬式ナンバープレート自動読み取り装置)を軸とした計測事業等を目的に株式会社オリエス交通情報サービス(現連結子会社)を設立(資本金10百万円) 平成17年7月 本社及び東京事業本部を東京都渋谷区南平台町16番28号に移転 平成17年8月 経理・財務、総務・人事に関する業務を受託する株式会社オリエスシェアードサービス(現連結子会社)を設立(資本金10百万円)
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セキ 本店:松山市湊町七丁目7番地1 【商号履歴】 セキ株式会社(1986年4月~) 株式会社関洋紙店印刷所(1952年5月~1986年4月) 株式会社関印刷所(1949年3月31日~1952年5月) 【株式上場履歴】 <大証JASDAQ>2010年4月1日~ <ジャスダック>2004年12月13日~2010年4月1日(取引所閉鎖) <店頭>2000年3月1日~2004年12月12日(店頭登録制度廃止) 【沿革】 昭和24年3月 株式会社関印刷所(資本金350万円)を松山市萱町に設立。和洋紙類の販売、印刷物の製造、販売を開始。 昭和27年5月 株式会社関洋紙店印刷所に商号変更。 昭和39年6月 松山市の住居表示変更により現住所地に登記変更。 昭和41年10月 高知出張所(現・高知営業所)を開設。 昭和42年10月 本社及び工場を新築。 昭和42年11月 高松出張所(現・高松支店)を開設。 昭和46年4月 東京出張所(現・東京支店)を開設。 昭和47年5月 関興産株式会社(現・連結子会社)を設立。 昭和48年7月 竹原工場を新設。 昭和50年4月 当社の企画・デザイン部門を独立させ、株式会社エス・ピー・シー(現・連結子会社)を設立。月刊誌「タウン情報まつやま」を創刊、出版・広告代理事業に進出。 昭和53年4月 コープ印刷株式会社(現・連結子会社)を設立。 昭和61年4月 セキ株式会社に商号変更。 平成元年8月 名古屋出張所(現・名古屋営業所)を開設。 平成2年5月 伊予工場を新設。これに伴い、竹原工場を廃止。 平成8年4月 カタログ通信販売事業を目的として、有限会社こづつみ倶楽部(現・連結子会社)を設立。 平成9年1月 セキ美術館を開館。関興産株式会社に美術館運営を委託。 平成11年12月 品質保証の国際規格「ISO9002」認証取得(伊予工場)。 平成12年3月 日本証券業協会に株式を店頭登録。 平成13年1月 「ISO9002」全社拡大認証取得(本社・支店・営業所・本社工場)。 平成13年5月 新本社工場竣工。 平成14年2月 「JISQ15001(プライバシーマーク)」認定。 平成14年2月 地球環境保護の国際規格「ISO14001」認証取得(伊予工場)。 平成14年12月 「ISO9001 2000年版」へ登録規格切り替え。 平成16年9月 大阪出張所を開設。 平成16年12月 株式会社ジャスダック証券取引所に株式を上場。 平成17年1月 東京支店を港区赤坂から渋谷区代々木に拡張移転。 平成17年5月 森林認証紙を取り扱うための加工流通過程の管理認証「COC認証」を取得。
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フルサト工業 本店:大阪市中央区南新町一丁目2番10号 【商号履歴】 フルサト工業株式会社(1973年2月~) 株式会社古里鉄工所(1959年5月19日~1973年2月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2006年3月1日~ <大証1部>2006年3月1日~ <東証2部>2004年11月25日~2006年2月28日(1部に指定替え) <大証2部>1993年12月 日~2006年2月28日(1部に指定替え) <大証2部特別>1986年10月24日~1993年 月 日(2部に指定替え) 【沿革】 当社は、昭和21年10月大阪市福島区今開町に「古里鉄工所」の名称で発足し、ターンバックルの製造を始めました。その後、ターンバックルの需要が増加し、事業体として質的、量的な発展の必要から、社会的基盤を確立するため、昭和34年5月に株式会社古里鉄工所が設立されました。 昭和34年5月 大阪市福島区新家町に資本金200万円をもって、株式会社古里鉄工所を設立。 昭和38年9月 滋賀県水口町に滋賀工場を建設し、鉄骨建築用部材のブレースの製造を開始、利用者直販体制によるブレース、アンカーボルト、ボルト・ナットの販売を開始。 昭和39年4月 ブレースを規格化、標準化し量産化。 昭和43年6月 ハイテンションボルトの販売を開始。 昭和44年5月 大阪市福島区安井町に本社を移転。 昭和46年8月 埼玉県伊奈町に埼玉工場を建設。 昭和48年2月 フルサト工業株式会社に商号変更し、大阪市此花区西九条に本社を移転。 昭和48年3月 韓国馬山市に現地法人韓国古里工業株式会社を設立、ブレースの部品としてのターンバックルの製造を委託。 昭和50年11月 米国向けのボルト・ナット輸出業務を開始。 昭和52年4月 多用な需要に対応し、建築用鋲螺類以外に錆止塗料、切削砥石、溶接棒その他建築金物類など多種に亘る鉄骨建築用資材の販売を開始。 昭和53年4月 米国メリーランド州に現地法人Columbia Fasteners,INC.を設立。鋲螺類の販売を開始。 昭和55年3月 大阪市港区福崎に配送センターを設置。 昭和55年6月 大阪市西区立売堀に本社を移転。 昭和56年11月 韓国古里工業株式会社を売却。 昭和61年6月 滋賀工場がブレースの日本工業規格表示許可を取得。 昭和61年10月 大阪証券取引所市場第二部(特別指定銘柄)へ株式上場。 昭和62年11月 埼玉工場がブレースの日本工業規格表示許可を取得。 平成元年9月 栃木県芳賀町に宇都宮工場を建設。 平成5年12月 大阪証券取引所市場第二部銘柄に指定。 平成5年12月 当社出資比率100%子会社有限会社フルネット(現・連結子会社)を設立、各種代理店業務及び仕入商品の販売を開始。 平成8年7月 宇都宮工場がブレースの日本工業規格表示許可を取得。 平成9年3月 米国現地法人Columbia Fasteners,INC.を整理。 平成9年4月 埼玉県伊奈町に関東配送センターを設置。 平成10年8月 富山事業所がブレースの日本工業規格表示許可を取得。 平成11年6月 有限会社フルネットは27百万円増資し、株式会社わかばリースに社名変更及び株式会社へ組織変更。 平成11年9月 久留米事業所がブレースの日本工業規格表示許可を取得。 平成12年8月 ㈱ジーネット(現・連結子会社)が実施した第三者割当増資を引受けたことにより同社を子会社化。 平成12年12月 広島事業所がブレースの日本工業規格表示許可を取得。 平成14年4月 香川事業所がブレースの日本工業規格表示許可を取得。 平成14年6月 仙台北事業所がブレースの日本工業規格表示許可を取得。 平成14年8月 株式交換により、㈱ジーネット(現・連結子会社)を完全子会社化。 平成15年10月 大阪市中央区南新町に本社を移転。 平成16年11月 東京証券取引所市場第二部へ株式上場。 平成18年3月 東京証券取引所及び大阪証券取引所の市場第一部に指定。 平成19年1月 工業標準化法の改正に伴い、全事業所・工場が新JISマーク表示制度の認証を取得。
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本店:東京都渋谷区神南一丁目20番8号 chacott e-store 【商号履歴】 チャコット株式会社(1994年4月~) アレスグーテ薬品株式会社(?~1994年4月) 【株式上場履歴】 <店頭>1996年8月29日~2004年2月24日(株式会社オンワード樫山と株式交換) 【沿革】 当社は、平成4年2月に実質上の存続会社として設立され、旧チャコット株式会社の営業を譲り受けて事業活動を開始し、今日に至っております。 昭和25年1月 個人企業(商号 青志社)として創業、トゥシューズ、バレエシューズの製造販売を開始。 昭和36年4月 スワンシューズ株式会社を設立、バレエ用品の総合メーカーとしてレオタード、タイツ等の製造販売を開始。 昭和39年7月 渋谷道玄坂店開設。 昭和43年1月 大阪支店開設。 昭和44年4月 上田工場開設。 昭和49年6月 チャコット株式会社に商号変更。 昭和53年7月 本社を現在地に移転。 昭和53年9月 本社ビル内に渋谷道玄坂店を移転し、東京本店として開設。 昭和57年3月 鴻池工場開設。 昭和57年4月 小泉物流センター開設。 昭和58年6月 営業センター開設。 昭和60年2月 福岡支店開設。 昭和60年12月 心斎橋店開設。 昭和61年4月 札幌支店開設。 平成2年7月 株式会社オンワード樫山の企業グループに入り、人材の充実、販売チャンネルの整備を進めて、首都圏をはじめ主要都市の有力百貨店との取引を順次拡大。 平成4年2月 実質上の存続会社、株式会社スピアー設立。 平成4年10月 株式会社スピアーが旧チャコット株式会社から国内営業に係る事業(営業上の債権、債務、販売組織、生産設備、従業員等)を譲り受けて、チャコット株式会社に商号を変更し、バレエ用品、ソシアルダンス用品、フィットネス用品等総合ダンス用品の取扱を拡充。 平成4年11月 本店内にダンス文化の発信基地としてカルチャースタジオを開設。 平成5年4月 名古屋支店開設。 平成5年10月 小倉店開設。 平成6年4月 株式の額面金額変更のため、形式上の存続会社アレスグーテ薬品株式会社に吸収合併。 平成6年7月 吉祥寺店開設、広島営業所開設。 平成7年7月 仙台支店開設。 平成8年6月 横浜店開設。 平成8年8月 日本証券業協会に店頭登録。 平成8年10月 京都店開設。 平成8年12月 船橋店開設。 平成9年2月 柏店開設。 平成9年6月 静岡店開設。 平成9年9月 新潟店開設、神戸店開設。 平成9年10月 横浜スタジオ開設。 平成11年4月 広島支店昇格、新宿店開設。 平成11年7月 心斎橋スタジオ開設。 平成12年6月 青葉台営業センター開設。 平成12年7月 熊本店開設、金沢店開設。 平成12年10月 町田店開設、岡山店開設。 平成13年3月 ダンス館渋谷開設。 平成13年4月 和歌山店開設。 平成13年8月 韓国においてChacott Korea Co.Ltdを設立し、ソウル市内に出店。 平成14年3月 ダンス館心斎橋開設。 平成14年4月 千葉店開設。 平成14年10月 大宮店開設。 平成14年12月 ダンス館名古屋開設。 平成15年8月 松山店開設。 平成15年12月 株式会社オンワード樫山の完全子会社となる株式交換契約締結。 平成16年2月 日本証券業協会の店頭登録取消。 平成16年3月 株式交換により株式会社オンワード樫山の完全子会社となる。
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テクノ菱和 本店:東京都港区南青山二丁目3番6号 【商号履歴】 株式会社テクノ菱和(1989年9月~) 菱和調温工業株式会社(1953年1月~1989年9月) レイト工業株式会社(1949年12月23日~1953年1月) 【株式上場履歴】 <東証2部>1996年12月26日~ <店頭>1990年10月 日~1996年12月25日(東証2部に上場) 【筆頭株主】 三菱重工業株式会社 【連結子会社】 東京ダイヤエアコン㈱ 東京都新宿区 100% 菱和エアコン㈱ 名古屋市中区 100% 松浦電機システム㈱ 大阪府守口市 100% 【沿革】 当社は、昭和24年12月23日創業者近重八郎により、三菱重工業株式会社(当時中日本重工業株式会社)の冷凍機を使用した冷蔵庫・ショーケースなどの冷凍工事施工を主たる目的に、「レイト工業株式会社」として名古屋市において設立されました。昭和28年1月に社名を「菱和調温工業株式会社」に変更するとともに、冷暖房空調設備並びに給排水衛生設備の設計・施工へも進出し、その後はこれを主たる目的として発展しました。昭和41年12月には本社を東京都に移転し、産業設備関連工事、海外工事分野への進出など、事業領域の拡充をめざしました。さらに、平成元年9月には社名を現在の「株式会社テクノ菱和」に変更し、「人間の生活や産業プロセスに最適環境を創造する」ための、トータル・クリーンエンジニアリングを提供いたすべく努めてまいりました。 昭和24年12月 レイト工業株式会社として名古屋市瑞穂区熱田東町に設立 昭和26年10月 本社を名古屋市中区南大津通へ移転 昭和28年1月 商号を菱和調温工業株式会社に変更 昭和29年6月 建設業法に基づく建設業者登録(建設大臣(ハ)第3724号)を行い、冷房設備の施工開始 昭和30年5月 ヒートポンプ方式による冷暖房設備の施工開始 昭和31年8月 東京営業所開設(昭和33年3月支店に昇格) 昭和33年3月 本社を名古屋市中区伊勢山町に移転 昭和35年9月 産業用特殊空調設備の施工開始 昭和37年6月 大阪営業所開設(昭和38年12月支店に昇格) 昭和39年4月 東京都に連結子会社東京ダイヤエアコン株式会社を、名古屋市に連結子会社菱和エアコン株式会社を設立 昭和41年5月 福岡市に九州支店を開設 昭和41年12月 本社を東京支店と同住所に移転。同時に名古屋支店を開設 昭和42年12月 仙台営業所開設(昭和50年12月支店に昇格、東北支店と改称) 昭和45年4月 生活排水処理技術を開発し施工開始 昭和48年12月 広島営業所開設(平成15年1月支店に昇格、中国支店と改称) 昭和49年2月 建設業法改正により、建設大臣許可(特、般)第3101号の許可を受ける 昭和50年1月 千葉営業所開設(平成3年5月支店に昇格) 昭和50年4月 横浜営業所開設(昭和59年12月支店に昇格) 昭和50年9月 札幌営業所開設(平成10年4月支店に昇格) 昭和51年4月 海外(中近東諸国)における設備工事施工へ進出 昭和52年10月 静岡営業所開設(平成9年4月支店に昇格) 昭和54年6月 東関東営業所開設(平成2年4月茨城営業所と改称、平成10年4月支店に昇格) 昭和55年4月 本社内に技術開発センター開設(昭和61年9月研究所に昇格) 昭和57年6月 シンガポール営業所を開設(昭和59年12月インドネシアに移転し東南アジア支店と改称) 昭和59年12月 東京支店を東京本店に改称 昭和60年4月 東南アジア支店を吸収しインドネシア・ジャカルタ市に現地法人P.T.RYOWA BINATEK PRATAMAを設立 昭和61年9月 東京都世田谷区に技術開発研究所を新設(技術開発センターを改組) 昭和62年1月 東京本店を本社事業部に改称 平成元年9月 商号を株式会社テクノ菱和に変更 平成2年3月 フィリピン・マニラ市に現地法人RYOWA-PILIPINAS TECHNICAL SERVICES,INC.を設立 平成2年4月 本社事業部を廃止し、その機能を管理本部、営業本部、技術本部に統合 平成2年10月 株式を社団法人日本証券業協会に店頭登録 平成3年4月 本社管理、営業、技術各本部から東京本店を分離 平成4年1月 在インドネシア現地法人P.T.RYOWA BINATEK PRATAMAへの出資金を全額譲渡 平成5年9月 在フィリピン現地法人RYOWA-PILIPINAS TECHNICAL SERVICES,INC.への出資金を全額譲渡 平成8年2月 在インドネシア現地法人P.T.RYOWA BINATEK PRATAMAへ再出資 平成8年12月 株式を東京証券取引所市場第二部に上場 平成13年4月 本社各本部を廃止し、管理・営業・技術各グループ制に改正 平成15年1月 在インドネシア現地法人P.T.RYOWA BINATEK PRATAMA会社清算 平成15年1月 本社各グループ制を廃止し、管理・営業・技術・関連事業各本部制に改正 平成16年10月 松浦電機システム株式会社を買収し連結子会社とする
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タグ 2007年 C-side 作品名あ 赤線街路 ~昭和33年の初雪~ 曲名 歌手名 作詞 作曲 ジャンル カラオケ OP ドリームライダー 薬師るり 薬師るり 薬師るり 明るい ED みんなの声が聞こえる 薬師るり 薬師るり 薬師るり 明るい 挿入歌 鳥籠に見た夢 薬師るり 薬師るり 薬師るり 感動